identity

ケーキ屋をめぐってる自分に対してふと「必死だな、自分」と声をかけたくなったり。
自分は友人との関係によって自分のアイデンティティを確立することができません。
なにせ近場で一緒につるんでくれる友達が殆どいませんから。
自我の存在こそがアイデンティティであるのだから(我思う故に我あり)、
あらためてアイデンティティを定義する必要はないことは確かだと思います。
でも昨年、或いはそれ以前から、自己の存在理由の揺らぎに直面した時、
「自分って何?」と云う自問に答えられない自分がいました。
自分の好きなことをしている間、
その不安から逃れられると云う逃避行動の側面も否定できません。
でもケーキを食べ歩いて至福を感じて、
自分の価値観を再認識することで自己の存在を感じているのです。
ケーキを食べてその美味しさを追求することではなく、
食べること自体が自己目的的になっているのは何だか馬鹿げたことのような気もしますが、
「何の為に生きているの?」と問われた時、
「美味しいケーキを食べる為さ。」と答えられる自分であることは心強くあります。