他人の犠牲の上に成り立つ幸福は本当に幸福なのでしょうか?
道義的に考えれば、それは否でしょう。
でも近視眼的で、独善的な私はそのような幸福でも希求してしまうのです。
行動が感情に過度に依存し、理性で制御できない私は、
多分に幼児じみて、情けない存在です。
でもそれを自覚しても脱却できません。その方法が分かりません。
感情が先に立って、必死になればなるほど
思考が不可能になる、そんな肉体的・精神的欠陥を
どうやったら補正、乃至修正することができるのでしょうか?